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音楽を奏でるということ

映画『愛より強い旅』を観る。
音楽が、「生」の真裏にある、古来から人間に寄り添ってきたものだということを、すとんと理解する。
ジプシーの音楽家がたくさん出てくる。
彼らの音楽に対する揺るがない信念は、
私が抱いている思いと全くの別物だ。
本当に全く別物だ。

北アフリカの音楽は、聴いているとトランス状態になるよと、
突如モロッコにはまった人から聞いたことがある。
映画の中で、儀式の場面が出てくる。
無我の境地になって踊り狂う人々。
音楽を奏でている人は、研ぎ澄まされた、能面のような、恍惚としたような、冷静なような、達観しているような、
何ともえも言われぬ表情をしている。

息が上がるほど動く、声を出すということが、理屈抜きに身体を浄化させる感覚分かる。
音楽を聴いている自分の中身がその場になく、遠くにある感覚。
でもそれはあくまでも受身で、発信じゃない、と感じてきた。
「奏でる」=発信 をすごく高みに置いていた。
そして、自分が発信することを畏れる。逃げ回る。
今日この映画を観ている途中、何かが心を引っかく。
私は音楽に対してすごく初歩の、或は見当違いのところで引っかかっているのではないか。
小さい頃からピアノをならっていた。
でも弾けない。

聴き手と発信する側、違いないのかもしれない。
聴き手で楽しめるなら同じように発信でも楽しめばいい。
聴き手は身体は動いていないものの、内側は激しく動いているので、
「息が上がるほど動く」側の、動きの発信をしているんじゃないか、とも思った。

ちょっと興奮しているものの何だか何も言っていないようで
真夜中ハイなのかとも思いつつ。
by momokonno | 2006-04-10 01:18
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